石井宏志焼物工房

西脇で焼き物をしています。徒然なるままにアップしています。

No.3849

ブログの文字を大きくしたら自分でも見やすくなった。

やはり年寄りはこれがいい。
何人かは見てくれてるようで多分全員年寄り。
中には白内障の手術でバッチシ見える人もいるけどそうでない人もいるだろう。
それより自分で見る時に助かる。
ただこの設定がこのブログは不安定。
さらに大きくなったりでどうなってるのかと不思議。
行間もデフォルトでは空きすぎていて他のユーザーにも不評。
何故そうなってるのか、なぜ修正がないのかが不思議。
内容とは無関係だからどうでもいいといえばそうなのだが見やすさは大事。


 
ウオーキングでどうやったら誰にも会わずに行き帰りできるか、と考えながら歩いてる。
出会ってもどうという事もないのだがやっぱり1人がいい。
神社など参道の途中で止まって拝んでる変な人(私に言わせれば)がいて当然私が追い越す。
そうなると神社とのその人の間に入りまるで一緒に拝まれてるみたいだ。
もちろん私なんぞを拝む筋合いもましてや御利益があろうはずがない。
こちらも拝まれても迷惑。
でもそういう構図になってしまう。
見てると長い時間拝んでるから待ってるのバカらしいし困るのである。
この真理、拝んでる人(女性)には分からんだろうな。
私なら逆の場合すぐやめる。
だって馬鹿らしいし御利益が減衰しそうだ。
あと知り合いに何人か出会うことがある。
いつもではないけど近所歩くからそういう事もある。
挨拶はしないといけないし近況まで聞かれることも。
丁寧にいう必要もないけど聞かれたら細かくいうことも。
こっちは聞かないから言うだけのことが多い。
朝早くから歩いてるんですね、とも言われるがあなたも同じでしょ、とつっけんどんには返せないから曖昧な返事で誤魔化す。
一生懸命歩いてる人に出会うとタラタラ歩きのこちらはなんとなく気恥ずかしく脇に寄ったりもする。
邪魔しませんようにと,最も暗がりで歩いたら誰にも出会わない。


神社の暗闇は幻想的でいいのだがちょっと足元が悪い。
それにもしそこで誰かに出会えば多分びっくりすると思う。
暗いのでライト持ってる人が歩いてるのを見ると光だけがゆらゆらで、え、何?と思わず立ち止まることも。
ただ神社と奥の院の佇まいは幻想的で好きだ。
 
一句
朝歩く道中神社どなたにも会わぬが吉と変なプレッシャー